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横浜地方裁判所 昭和43年(ワ)1450号 判決

原告

具志堅清

外五名

代理人

内藤功

外三名

原告補助参加人浦賀重工業株式会社承継人

住友重機械工業株式会社

代理人

山田弘之助

外一名

被告

常石造船株式会社

代理人

板木郁郎

主文

被告は

原告具志堅清に対し金三、二三三万九、七八八円

原告具志堅常子に対し金一〇〇万円

原告具志堅明に対し金五〇万円

原告具志堅隆に対し金五〇万円

原告具志堅興信に対し金五〇万円

原告具志堅ツルに対し金五〇万円

および右各金員に対する昭和四一年四月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告具志堅清のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告具志堅清と被告との間においてはこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とし、その余の原告らと被告との間においては全部被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

被告は、

原告具志堅清に対し金六、〇九四万一、八五四円

原告具志堅常子に対し金一〇〇万円

原告具志堅明に対し金五〇万円

原告具志堅隆に対し金五〇万円

原告具志堅興信に対し金五〇万円

原告具志堅ツルに対し金五〇万円

および右各金員に対する昭和四一年四月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

仮執行の宣言。

二、被告

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  請求の原因

一、(当事者)

原告具志堅清は、船舶の建造および造船機械等の製造を業とする訴外浦賀重工業株式会社(以下浦賀重工という。但し同会社は昭和四四年八月二六日住友重機械工業株式会社に合併し同日その届出がなされている。したがつて、同原告は同日以降右新会社の社員である。)の社員であり、原告具志堅常子はその妻、同明は長男、同隆は次男、同興信は実父、同ツルは実母である。

被告常石造船株式会社(以下被告会社という。)は、表記肩書地に本店を有し、船舶の建造修理解体等を業とする資本金一億円の会社である。〈後略〉

理由

一請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二(本件事故の発生)

請求原因第二項の事実のうち、本件クレーンの鋼造、機械部分が被告会社の発注に基いて浦賀重工が被告会社所在地に建造したものであること、右基礎部分は被告会社が建造したものであること、昭和四一年二八日本件クレーンの試運転の際これが倒壊し、原告具志堅清が傷害を受けたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

昭和四一年四月二八日被告会社所在地において、被告会社の発注により浦賀重工が建造した本件クレーンの試運転が行われた際、浦賀重工起重機橋渠事業部浦賀起重機橋渠工場工事部工事一課係員である原告具志堅清が本件クレーンの運転室に塔乗し同クレーンを操作し三トンのバラスト(重荷)を地上より約五米つり上げたところ、被告会社の構築した基礎部分が損壊し、右クレーンが横倒しになり、右運転室が損壊したが、右運転室にいた原告具志堅はその圧迫を受けて、頭部打撲傷、前頭骨骨折、右鎖骨、右肩胛骨骨折、右第四、第五肋骨骨折、左肘関節脱臼、左上腕骨内上骨折、左大腿骨折開放性骨折、右大腿骨頸部骨幹部骨折、右頸骨間隆起骨折、胸部腹部打撲傷、顔面、右下肢、両上肢挫創の傷害を負つたことが認められる。

三(本件事故の原因)

〈証拠〉を綜合すると次の事実が認められる。

被告会社は昭和四一年一月頃訴外浦賀重工に対し船舶艤装用の本件クレーンを被告会社所在地構内に建造することを発注し、訴外浦賀重工の浦賀工場において本件クレーンの鋼造、機械部分が建造されることとなつたが、該部分は最大巻上荷重三トン、試験荷重3.7トン、荷重と作業半径1.5トンの場合三〇米ないし五米、三トンの場合二五米ないし五米、揚程地上二五米地下一五米の能力を有し、右性能に鑑み基礎部分に対し最大転倒モーメント一〇〇トンメーター、垂直荷重四〇トンの加重のかかることが明らかとされた。

しかして訴外浦賀重工は機械建造メーカーであつて、土木工学上の専門的知識経験がないため、昭和四一年二月頃被告会社との間に該基礎部分は発注外とすることが確認された。よつて、浦賀重工は被告会社に対しその頃本件クレーンの鋼造、機械部分の基礎部分に対する加重の条件を示し且つ右基礎部分と鋼造機械部分を接合するためのアンカーボルトの寸法、本数、埋込場所等を指示しておいた。

これに対し被告会社は当初本件クレーンの設置場所を同会社の構内の桟橋上に定めていたが同年三月下旬頃に至り不適当であるとの結論に達したため、急拠基礎部分の構築の必要に迫られた。

ところで被告会社は船舶の建造修理解体を業とする会社であつて、土木関係の知識経験なく、本件クレーンの如き固定式のものを建造発注しこれを設置した経験もなく、前記の通り浦賀重工より基礎部分の構築について必要な土木工学上の数値について指示を受けていたにも拘らず、これが専門的理解能力に欠けていたこと、しかるに被告会社はこれが専門業者に該基礎部分の構築を請負わせることなく被告会社工務部建築課において構築することとした。よつてその頃被告会社は浦賀重工に対し基礎部分に埋込むべきアンカーボルトを送付されたい旨要請し、浦賀重工は昭和四一年四月七日他の部品と共にこれを発送した。しかし被告会社建築課長訴外宮崎某、同課員訴外佐藤武司らは右アンカーボルトが未着であるにも拘らず同月四日および五日の二日間に右基礎部分(地上の高さ一米五〇センチ、縦二米五〇センチ、横三米)を構築した。しかして、右構築に際し鉄筋を全く使用しなかつたこと、右訴外佐藤武司の指示により頭大の割石を多数混入したこと、右基礎部分に埋め込むアンカーボルトは浦賀重工から指示された規格品と同一のものがないため、有り合せのボルト(長さ約六〇センチ)のものにアングルを熔接して規格の長さに合致するよう製作し、これを埋込みセメントによつて基礎部分を構築した。

浦賀重工の工事課課員で且つ本件クレーンの据付を担当した訴外本田博は同年四月八日現場に出張し右基礎部分を検分したが既に右基礎部分はセメントの流し込み作業が前記のとおり終つていたため内部に鉄筋を使用していたこと、割石を多数混入していることなど確認するすべもなく単に右基礎部分に埋込まれていたアンカーボルトを点検したにとどまつたが、右アンカーボルトは浦賀重工が前記のとおり同月七日発送したものと異り一八本のうち八本は細いものが使用されており、その配列位置関係も不統一であつて、二、三センチの狂いの存在が判明した。よつて同訴外人は浦賀重工本社と打ち合せの結果これが補強のためボルトの増設ならびににアンカーボルトの下部をアルグルによつて接合する等の処置を命じ右手直し工事は同月一二日より一四日にかけて施行した。

同月一六日本件クレーンの鋼造、機械部分は右基礎部分に取り付けられ、同月二八日試運転が行われた。同日浦賀重工より前記本田博のほか電気関係の担当者として訴外山本登、仕上工として訴外山崎道春、機械運転の指導者として原告具志堅清および訴外茂田井正宣が本件現場に出張し、原告具志堅清は被告会社の従業員訴外小林健滋と共に本件クレーンの鋼造、機械部分にある運転室に塔乗し、同日午前中無負荷、巻上、旋回を行い、同日午後1.5トンの荷重試験を行い無事これを終了した。しかし午後四時三〇分頃三トンの荷重試験を始めその巻上、旋回にかかつた瞬間本件基礎部分は割り石の断層を境として上下二つに割れたため、本件クレーンの鋼造、機械部分は右基礎部分の上部と共に横転したことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、右基礎部分の損壊は、他に特段の事情の認められない限り、右構築に際し鉄筋を全く使用しなかつたことおよびその内部に頭大の割石を多数混入したことによりその断層面における固着力が著しく欠けていたことならびに規格外のアンカーボルトを使用したことも相まつて、本件鋼造、機械部分および荷重の加重に耐えうる性能を有していなかつたことに基因するものと認めるのほかはない。

四(被告会社の責任)

(一)  原告は本件クレーンの基礎部分が民法第七一七条の工作物に該当する旨主張しこれを前提として該部分の所有者兼占有者たる被告会社にその設置につき瑕疵があつた旨主張し、被告は右基礎部分は本件クレーンの構成部分に過ぎず独立の工作物にあたらない旨抗争するので判断する。

本件クレーンが鋼造、機械部分および基礎部分を含めてこれが一体として民法第七一七条の工作物にあたることは多言を要しないところであるが、右工作物の各構成部分が、その性質、内容を変更することなく容易に分離が可能であつて、取引観念上未だ独立性を有するものと認められる場合においては、右構成部分につき各別の所有権ないし占有権を認めることを妨げないものと解すべきところである。

前記認定の事実によれば、本件クレーンの基礎部分を構築した土地は被告会社が訴外神原土地建物株式会社より賃借中であることは被告の自認するところであるから、該土地上に右基礎部分を構築した被告会社は権原によりこれを設置したものとして該部分の所有権ないし占有権を有するものと認めうべきところである。

ところで本件クレーンの鋼造、機械部分はアンカーボルトによつて基礎部分に接合されたに過ぎず、その性質、内容に変更が生じたものではなく、また各別の機能を破壊することなく容易に分離することが可能であつて、しかも右両部分は接合されたものの未だ試運転の段階であつて右鋼造、機械部分の引渡が完了したものではないから試運転の成果如何によつては再びこれを取りはずし分離することもありうる状況にあり、取引観念上も各別に独立性を有していたものと認められるから、、右基礎部分に鋼造、機械部分が接合したことから直に右基礎部分の所有権ないし占有権が鋼造、機械部分に附合するものと解すべきではない。

したがつて、本件クレーンは鋼造、機械部分が浦賀重工より被告会社に引渡されるまでは右基礎部分は被告会社の鋼造、機械部分は訴外浦賀重工の夫々所有、占有に属していたものと認めるのほかなく、民法第七一七条の工作物が部分的にその所有者、占有者を異にしていたものというべきところである。

そうすると、前記認定のとおり右基礎部分に瑕疵が存在し、これがため本件事故が発生したものである以上、被告会社は工作物の所有者ないし占有者としてその責を免れないものといわなければならない。

(二)  さらに前記認定の事実によれば被告会社は民法第七一五条によつてもまた本件事故による責任を免れないところである。すなわち、前記認定の事実によれば、訴外浦賀重工と被告会社間において本件クレーンの建造契約を締結するにあたり浦賀重工は土木の専門業者でないところから基礎部分の構築にあたり考慮すべき土木工学上の数値を仕様書をもつて示し、右基礎部分の構築は右クレーンの建造契約外と定めたことが認められる。したがつて、被告会社は右基礎部分を構築するにあたつてはその使用目的に鑑み、浦賀重工より指示された条件を具備する基礎工事を行うべきところ、これが構築を担当した被告会社の従業員たる建築課長宮崎某、同課員佐藤武司らは、土木工学上の専門的知識に欠け且つ本件クレーンの如き固定式クレーンの基礎工事を行つた経験もなく、地盤の強度については勿請基礎部分に対する加重の条件等についての理解能力に欠けていたため、これら諸条件についての配慮を全く払うことなく、この種基礎工事に不可缺の鉄筋を使用せず、その内部に頭大の割石を多数混入し、規格外のアンカーボルトを使用する等の著しく劣る基礎部分を構築した過失により本件事故が発生したものというべく、被告会社は使用者として民法第七一五条によつても原告具志堅清の蒙つた損害を賠償する義務あるものといわなければならない。

被告は浦賀重工が本件基礎部分の構築について仕様書をもつて指示したとおり構築したとしても基礎部分全体が倒壊する可能性があつた旨主張するけれども、前記認定のとおり浦賀重工は機械建造メーカーであつて、土木工事の専門業者ではないから浦賀重工に対し本件基礎部分の構築についての指揮監督を期待することは困難であり、浦賀重工が被告会社に対し示した仕様書は、本件鋼造、機械部分および荷重による加重条件ならびにこれが設置のための諸条件を示したものに過ぎないから、被告会社は右仕様書に基く諸条件を前提として、地盤の強度についての検討をも含めて、その基礎部分が右加重に耐えうるか否かを慎重に配慮しつつ構築すべきところであつて、被告の右主張は被告会社の責任を阻却する事由となし難いところである。

五(損害額について。)

(一)  原告具志堅清の損害

(1)  浦賀重工(現在住友重機械工業株式会社)退職までの得べかりし賃金

1 〈証拠〉と前記当事者間に争いのない事実を綜合すると、原告具志堅清は横浜の電気関係の工業学校卒業後昭和二三年浦賀重工に入社し、事故当時浦賀重工起重機橋梁事業部浦賀起重機橋梁工場工事部一課係員として稼働していたものである。しかして同原告は本件事故直後広島県沼隈郡沼隈町常石塙本病院に入院したが、前記のとおり殆んど全身にわたり骨折の傷害を受けたほか頭部を打撲していたため約三ヶ月にわり生死の境をさまよい奇蹟的に生命はとりとめたものの起居の自由を全く失つたほか過去の記憶を喪失し会話にすら不自由をきたす状態が継続した。昭和四一年七月七日漸く岡山市築港緑町岡山労災病院に移ることを得、同病院において前後四回にわたり左右両大腿部骨折の手術、左股間節脱臼回復手術を行い、昭和四二年一〇月二三日川崎市木月住吉町関東労災病院に移ることを得た。爾来現在に至るまで同病院において、右大腿骨骨髄炎、両大腿骨肩折、右鎖骨肩甲骨骨折、左上腕骨骨折、右頸骨骨折、骨盤骨折の疾患につき療養中である。しかして、昭和四五年二月現在において、両下肢、三大関節(股関節、膝関節、足関節)の拘縮著しく、筋萎縮、筋力低下のため歩行は勿論起坐、起立も不能の状態であつてその積極的治療効果は期待し難く、今後半年ないし一年の入院訓練により室内の身体移動程度が歩行器或いは松葉杖等の使用によつて可能となることが期待されるのみで、終生、用便その他身の廻りの用務についても介添を必要とする状態であること、したがつて、その労働能力は全く失われ今後労働に従事しその収入を得ることは全く不可能であることが認められる。

2 ところで〈証拠〉によれば、原告具志堅清は本件事故当時三六才の健康な従業員として、浦賀重工に稼働し、昭和四〇年度における本給、加給、奨励給、家族手当、一時金を含めて年収金六九万一、三四四円の支給を受けていたが、本件事故により昭和四一年四月三〇日以降労働者災害補償法第一四条に基き、昭和四四年四月三〇日以降は長期療養を要するものとして労働者災害補償保険法第一八条に基いて長期傷害補償給付にきりかえられ、それぞれ平均賃金の六〇パーセントの休業補償および一時金の支給を受けるに止つた。

しかして原告具志堅清の昭和四一年以降昭和四四年までの間の本給その他一時金等は別紙目録一覧表のとおりである。したがつて、右期間中における同原告の喪失した得べかりし賃金は同一覧表記載のとおり昭和四一年度金一五万二、〇一六円、昭和四二年度金二四万〇、八六六円、昭和四三年度金二八万九、〇七一円、昭和四四年度金三二万七、九一八円となることが認められる。

3 〈証拠〉によると、原告具志堅清は前記のとおり昭和四四年四月三〇日長期療養を要するものとして長期傷害補償給付にきりかえられることによつて浦賀重工を退職すべきところ、組合の要請に応じて同会社がその退職時期を一年延長することを承認したことにより同原告は昭和四五年四月二八日退職の予定であることが認められる。したがつて、昭和四五年夏以降の一時金はその支給を受けられなくなるものというべきところである。

4 次に原告具志堅清は昭和四五年度以降の得べかりし賃金として、過去八年間の平均ベースアップ11.52パーセントの上昇率が今後原告具志堅清の五五才の定年まで継続することを前提として、別紙目録一覧表記載のとおり得べかりし利益を請求するけれども、過去数年にわたる平均昇給率は近時日本経済の急激な成長発展に伴う物価上昇に基くベースアップをも含むものであることは当裁判所に顕著な事柄であるから、右平均ベースアップ率が将来長期間にわたり継続するものと予測することは困難である。よつて、他に確実な基準についての主張立証がない以上同原告の昭和四五年度以降五五才までの得べかりし賃金額は昭和四四年度の賃金額をもつて算出するほかないものというべきところである。

そうすると、右一五年間における得べかりし賃金は金一、〇〇七万四、二七〇円となること算数上明らかであり内金昭和四五年四月分以降の賃金九九九万二、二九一円についてはホフマン式計算方法により中間利息を控除すると金六七三万五、三二一円となるから、以上の合計金七七二万七、一七一円が同原告の喪失した得べかりし賃金である。

(2)  浦賀重工退職後の得べかりし賃金

以上認定の原告具志堅清の年齢、職業、健康状態等を考慮すると少くとも満五五才の定年後も満六三才に至るまで八年間にわたり稼働することが可能であつたと認めうべく、最下級労働者の平均賃金によりその逸失利益を算出(中間利息を控除して)するとしても、その金額は原告の主張する月額金四万八、七〇〇円を下らないことは当裁判所に顕著な事実である。

よつて右合計金額より前記昭和四四年度における長期傷害補償給付による支給額と同一の割合による金員を控除して計算すると金一五六万七、一五二円となる。さらに右金員からホフマン式計算方法により中間利息を控除した金七九万四、二一三円が同原告の喪失した退職後の得べかりし賃金である。

(3)  得べかりし退職金

前記認定のとおり原告具志堅清は昭和四五年四月末日頃退職の予定であるが、〈証拠〉によれば、浦賀重工においては従業員が一年以上勤続し負傷、疾病のため業務にたえないと認めるときおよび傷病による休職期間満了のとき、本給に勤続年数に応じて定められた支給率を乗じた金額を退職金として支給する旨の定めが存し、原告具志堅清は昭和四五年四月現在勤務年数二三年二ヶ月にすぎないが、本件事故がなければ五五才の定年まで稼働できたから勤続年数三六年一〇ヶ月としての退職金を受けられたところである。したがつて、右支給額の差額たる金二八〇万六、七七五円につきホフマン式計算方法による中間利息を控除した金一六〇万三、八六〇円は同原告の得べかりし退職金というべきである。原告は別紙目録一覧表記載のべースアップによる本給額を前提として原告具志堅清の五五才定年時の退職金を計算しその差額金を請求するけれども、前述の判断と同一の理由により別紙目録一覧表のべースアップを前提とする請求は採用し難く、前認定の限度の範囲内において認容すべきである。

また被告は訴外浦賀重工が従業員を業務上の傷害による労務不能のため退職させるときは退職手当金のほか見舞金として金三〇〇万円を支給する旨の規定が存し、原告具志堅清はこれが支給を受けることが予測されるところから右金員を控除すべき旨主張するけれども、右見舞金は本件不法行為の原因と関係なく支払われるものであつて、損害填補の性質を有するものでないから右主張は採用しない。

(4)  附添費用

以上認定の事実に〈証拠〉によれば、原告具志堅清は本件事故により殆んど全身にわたり骨折の傷害を受け重症患者として病院における療養生活を余儀なくさせられているが、起居にも附添看護を必要とし、浦賀重工の好意により在職中に限りこれを附してもらつているけれども、昭和四五年五月以降においても終生これを必要とすることが認められる。

被告は原告具志堅清は半年ないし一年後には退院の見込みであるから退院後においては妻である具志堅常子の看護に期待できるから附添費用の請求は失当であると主張するけれども、仮りに原告具志堅清の退院後においては妻である具志堅常子の看護に期待しうるとしても、右常子が看護にあたるときは本来家事に従事し或いはその他の勤労に従事しうる時間と労力を費すこととなるのであるから、原告具志堅清が終生附添を必要とする以上、同原告は右附添費用と同額の損害を蒙つたと認めるのが相当である。

しかして前掲各証拠によれば、原告具志堅清の入院中における附添看護婦費用は一日金一、九五〇円、手数料一九五円のほかベット代金一二五円を要すること、同原告は遅くとも今後約一年の入院療養生活を継続することによつて症状が一応固定し退院の見込みであること、同原告は現在四〇才の男子であるが政府統計第一一回生命表によればその平均余命は三一年であることが認められる。

そうすると、原告の請求する附添費用中昭和四六年三月以降の附添看護婦の使用するベット代金一二五円の請求部分は理由なきものとして排斥しその余の部分は認容すべきである。

よつて右期間内における附添費用合計金二、五一七万四、七九〇円よりホフマン式計算方法に基く中間利息を控除した金一、四七一万五、五四四円を附添費用として認容する。

(5)  慰藉料

以上認定の原告具志堅清の年齢、職業、家庭的立場、本件事故による傷害の程度等一切の事情を斟酌して、同原告の蒙つた精神的苦痛を慰藉するには金五〇〇万円を相当と認める。

(6)  弁護士費用

以上原告具志堅清は被告に対し金二、九八三万九、七八八円の損害賠償請求権を有するところ、〈証拠〉によれば、被告会社がこれを任意に支払わないため本件訴訟の提起および追行を弁護士内藤功、加藤雅友、岡村親宣に委任し、日本弁護士連合会報酬基準規程による手数料および謝金を支払うことを約したことが認められる。

本件事件の難易前記請求認容額その他一切の事情を斟酌して同原告が被告に対し賠償せしめる金額は金二五〇万円が相当と認める。

(二)  原告具志堅常子、同明、同隆、同興信、同ツルの慰藉料

民法第七〇九条ないし第七一一条の解釈上近親者の身体傷害により精神上の苦痛を受けた者は自己の権利として慰藉料請求できるか否かについては判例学説上争いの存するところであるが、近親者が死亡或いは死亡に比肩すべき重大な傷害を受けたことにより著しい精神的苦痛を受けた者は自身直接の被害者として民法第七〇九条、第七一〇条によりこれが慰藉料請求を認めうべく、同法第七一一条は近親者の精神的苦痛の特に著しい場合を例示したものと解するのが相当である。前記認定の事実によれば、原告具志堅清が前記の如く再起不能の重傷を受け廃人同様の身となつたものであるから本件事故直後より昼夜の別なく献身的看護を続けてきた同原告の妻である原告具志堅常子の心労をも含めて長男明、次男隆、実父興信、実母ツルの蒙つた精神的苦痛は甚大なものがあつたものと認めうべく、これが苦痛を慰藉するには右常につき金一〇〇万円その余の原告らにつき各金五〇万円と認めるのが相当である。

六(結論)

しからば原告具志堅清の本訴請求は被告に対し金三、二三三万九、七八八円およびこれに対する本件訴状送達の翌日たること記録上明白な昭和四一年四月二九日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求める限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべく、その余の原告らの被告に対する本訴請求はいずれも正当として認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。(新海順次)

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